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■野村萬斎『敦―山月記・名人伝―』  mercredi 13 sept.06 [■能狂言]

野村萬斎師構成・出演 『敦―山月記・名人伝―』(世田谷パブリックシアター)を観る。

野村萬斎師が中島敦の「山月記」「名人伝」を演出。昨年の紀伊國屋演劇賞・朝日舞台芸術賞を受賞し、今夏の再演となったものです。出演は「万作の会」の方々と、大鼓・亀井広忠、尺八・藤原道山さん。

「山月記」は隴西の秀才李徴が自らの詩で成功することなく狂い、虎に変身するという誰もが知る奇譚。
虎に変身してまで李徴には欲望がある。虎の李徴が望むのは妻子の安寧ではなく、まず自分の詩集が長安の読書子の机に置かれることなのだ。つまり虎になってしまう地獄に於いても他者の「まなざし」が彼を襲うのだ。サルトルの「出口なし」で語られた地獄の状況とまったく同じなのである。
では、虎になってしまう時間と人間の意識の相克の絶望的な疎外で生きる李徴が、この地獄から解放される方法はあるのか。それは人間に戻ることではない。人間の意識を持つ時間の裂け目に埋没してしまうことがこの地獄からの解放なのだ。つまり彼に残された希望は虎に成ることなのである。それは人間の死であり、李徴の死である。

「名人伝」は天下第一の弓の名手にならんとする紀昌が数十年かけて極意を得るという小編。弓の極意は「不射之射」、そしてすべての達観は「至為無為、至言去言、至射無射」。この逆説は老子の謂や碧巌録を惹起させるが、漢籍に通じた中島敦だけに娯楽作品に堕した現代作家の表層的な謂とは雲泥の差がある。

二演目とも天井の高い円形舞台をよく使い、能狂言には無い動きが散見された。しかしながら基本は能狂言の身体論であった。万作師が演じた李徴、老いた紀昌の万之介師の恐怖さえ感じさせる所作は古典芸能の真髄とさえ言えるだろう。

オープニングとエンディングで使われたモーツァルトのレクイエムは昨年の公演では用いられていなかった。死んだ紀昌の葬送のモーツァルトであり、舞台正面に映し出された中島敦への葬送である。なんどもアンコールに応えてくれた萬斎師の中島敦へのオマージュが珠玉の空間を造ったといえよう。

  
閉演後も暫く中島敦の肖像が映し続けられていた。
昨年今年と何度もリピートしている洋子さんに頂いたチケットで行くことが出来ました。感謝に絶えません。


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Michelan

こんばんわ。先日は、nice!&コメントありがとうございます。
昨年のものは、OPとEDではレクエムが使われていたのですか?
そちらの方が、凄みが増して見てみたかったです。

懸解さんは、狂言能がおすきなのですね!
そして、それとそれ以外もですが知識をたくさんお持ちだ!
文章を読ませていただいて、知識を増やしたいと思いました。

それでは、失礼しました。
by Michelan (2006-09-15 23:12) 

chamomilla

はじめまして。先日はトラックバックありがとうございました。
『敦—山月記・名人伝—』素晴らしかったですね!

懸解さんはとてもたくさん能狂言をご覧になっていらっしゃるんですね。どうも私は「能」が苦手であまり見に行かないのですが、ブログを拝見していて、久しぶりにあの独特の空気に触れたくなりました。

また時々拝見させていただきます。
by chamomilla (2006-09-17 19:04) 

メーテル

こんにちは!
この一週間、敦の冷めやらぬ感動で持ちました。
また進化した萬斎さまの舞台を観に行きたいです。
狂言もまだまだ初心者ですが、楽しいですね☆
by メーテル (2006-09-18 09:00) 

autumn

懸解さま、nice!&TBありがとうございます。
「敦」とても素晴らしい舞台でした。恐るべし、野村萬斎!です。
by autumn (2006-09-19 19:57) 

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