So-net無料ブログ作成
検索選択

■田中好子さん     jeudi 21 avril 2011 [■追悼]

女優の田中好子さん、乳がんで急逝……、こう言い直させてほしい、キャンディーズのスーちゃんが亡くなっちゃった。

震災のあと多くの人の不慮の死から、生命や追憶の意味を考えさせられることが重なったが、どうにか歩いている感じだった。そこへ、ここは大丈夫という暖かい記憶の足場をストンと抜かれてしまったようだ。中学生から高校生、そして外延へと続く記憶の、確実に一つの核だった三つ子の塊のひとつが、本当にキャンデーのひとつが無くなってしまった。
あまりに急ではないか、55歳で逝ってしまうなんて。

夫の小達一雄さんの言葉も沈痛ですが、伊藤蘭さんと藤村美樹さんのコメントが無いということが、お二人の悲痛さを物語るようです。ただただ御冥福を祈るばかりです。



1978年4月4日、旧後楽園球場。キャンディーズ・ファイナルカーニバル。コンサート


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

●後藤昌次郎氏死去   15 fev,2011 [■追悼]

後藤昌次郎弁護士が10日慢性心不全・腎不全で死去したと朝刊に載る。

松川事件、八海事件、青梅事件などの弁護団に参加。冤罪事件に対する権力への糾弾に尽力された。
一度お会いしたことがあるが、確信に満ちた正義の体現者たらんとする発言に圧倒された。
御冥福を祈ります。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■永田洋子さん死去       dimanche 6 fev, 2011 [■追悼]

連合赤軍の永田洋子死刑囚が、5日午後小菅の東京拘置所で脳腫瘍による多臓器不全で死亡した。

永田洋子という女性一人に日本の左翼運動の閉塞と終焉を見る言説があるが、大衆と乖離した学生運動の尖鋭化した武装化それ自体が方法の誤りであり、論理の崩壊であった。現代の弛緩した論理と価値観の錯綜による倫理の欠如についていえば、連合赤軍同志殺人がその根底の一つにあることは否定できない。そして、永田さんがその誤りをどこまで自己のものと思考したか、はなはだ疑問である。

いまだに左翼運動をしたことを名誉のように俎上にのぼせる輩が時にいるが、彼らは同志を殺し、自らも殺されていった者の涙の重さにも値しない。

DSC01741.JPG


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■追悼・忌野清志郎 samedi 2 mai 2009 [■追悼]

キヨシローが逝くなった。
喉頭がんを克服したんじゃなかったのか!

1980年に初めてウォークマンⅡを買って、レコードからテープにダビングしたのは、RCサクセションの「シングル・マン」だった。今からはもう出来もしないが、周りの乗客に構わずウォークマンを最大音量にして聴いていた。「甲州街道はもう秋なのさ」を聴き、「スローバラード」を口ずさみながらあるいた。

熱い時代は終わったが未だソ連は存在し、読まなきゃいけない本が山積みだった。まだまだ皆な怒っていた。でも街中は綺麗な女の子ばっかりだったな。

クソ、早すぎるじゃないか。<お別れは突然やってきて>じゃあねえだろ。

3112T4QJV9L__SL500_AA240_.jpg

シングルマン

アーティスト: RCサクセション
出版社/メーカー: ポリドール
発売日: 1996/09/01
メディア: CD




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■追悼・加藤周一さん  samedi 6 dec, 2008 [■追悼]

5日、加藤周一さんが亡くなる。89歳だったという。

現代日本が世界と対峙できる「知識人」であった。ここで「知識人」という表記を使ったのは勿論サルトルの謂いを援用してのことであるが、加藤さんは正しく日本の「知」であった。

「羊の歌」(岩波新書)や「著作集」から抜き出した「加藤周一セレクション」(平凡社ライブラリー)などの読者でしかなかったが、80年代から続く「夕陽妄語」(せきようもうご)は、大江健三郎さんの「定義集」とともに、朝日新聞という一紙の連載という範疇をこえ、日本の良心の方向を指し示していた。

親しくお付き合いがあったわけなどないが、初めてその謦咳に触れたのは四半世紀も前の1980年だった。4月にフランスでサルトルが亡くなり、まもなく加藤さんによって日仏会館で追悼講演が行なわれた。サルトルに負けないドスの利いた声でサルトルの全体像を組み立て、現代社会に知識人が持つ責任論を構築した。海老坂さんが『戦後思想の模索』(1981年 みすず書房)で加藤さんの「雑種文化論」を精読することによって、日本文化に特異な性質を考えることにもなった。そういえば、
その後講談社の「人類の知的遺産」でサルトルを担当したのも加藤さんであった。

「夕陽妄語」は既に数冊の単行本となって発行されているが、僕にはどうしても忘れられない2編がある。
ひとつは1993年1月20日の「命短し」であり、もうひとつは2002年6月22日の「『それでもお前は日本人か」である。

「命短し」は92年暮れに亡くなった平井啓之さんのことである。平井先生は「わだつみ」として軍国日本に強烈な憎悪を持ち、無責任体制の核である天皇制を批判し続けていた。また、戦争による死と向き合った人間の哲学である実存主義、サルトルと、自分の生を見事にひとつのものとして捉えきった平井さんを浮かび上がらせていた。

もう一方、「それでもお前は日本人か」は、詩人宗左近氏による白井健三郎さんの横顔である。宗左近氏が召集令状を受けた1945年3月31日の歓送会で、同じ同級生の橋川文三氏が白井さんに「それでも日本人か」と言う場面である。

  「まず人間とは何だい。ぼくたち、まず日本人じゃあないか」
  「違うねえ、どこの国民でも、まず人間だよ」
  「何て非国民!まず日本人だよ」
  「馬鹿なことをいうなよ。何よりもさきに、人間なんだよ」

戦時下の日本の圧倒的な多数下で「まず人間」だといいきる白井さんに、「白井の精神の自由を私は尊敬する」と書く加藤さんにもまた、おなじ精神を感じる。加藤さんの論も読み切れないような陣営がなんと多いことか。その知のレヴェルをいかに憐憫を思うか。それでも加藤さんは発言し続けた。

平井さんも白井さんもとうに鬼籍に入り、いま加藤さんも戦争の悪、人間の欺瞞を言及しつつあちら側に逝かれてしまった。


DSC00120.JPG

12月14日
真面目にへとへとになって帰宅。テレビの前に11時30分に就き、テレビを点けると加藤さんの姿、そして「1968年」という文字が。新聞休刊日で2日纏めて中面にあるテレビ番組欄を見ると、ETV特集で氏の追悼番組をやっていたらしい。
どこへもやりようのない暗い憎悪が湧いて来る。いちいち中面のテレビ欄のETV欄をチェックなどするか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■筑紫哲也さん  vendredi 7 nov,2008       [■追悼]

筑紫哲也さんが亡くなりました。
その不在がこんなにも大きな衝撃だったとは……。「こちらデスク」から始まって、30年もの長きに亘り筑紫哲也というジャーナリストの発言を我々は指標としていたのだ。古谷綱正氏や入江徳郎氏などではなく、新しい戦後のアメリカを知っている特派員の観点でモニュマンは切り取られた。報道の視点からでは、あるいみ小田実や本多勝一と同じであった。ベトナム戦争、アメリカの大統領選挙(ウォーター・ゲート事件)など、対米政策に潜む日本政府の欺瞞を暴きだしていた。
1984年だったか朝日ジャーナルに「新人類」と謳われたとき、時代の価値観が変わった。

ある番組で、軍人は戦術を考えるものだ。しかし政治は外交で平和を構築していくのだという主旨のことを言われた。まだ中学生だった僕は、大学生になるまで、この言葉や論理を幾たび友人に吐いたことか。

「週刊金曜日」によるプロフィール
tikusi.jpg筑紫哲也
どうして私たち日本人はこんなに既成事実と権力に弱いのだろう――という嘆きがあらためて拡がっている。この二つの組み合わせが如実に現れているのがイラク出兵と憲法の扱われようだ。が、この弱さが構造的なものだとしたら、他のどんな問題についても同じことがこれからも起き続けるのだろう。だから問題の核心にあるのは「文化」だと私は思う。人間の精神的生活にかかわるものの総称としての――。そこに目を向ける雑誌でありたい。

自我作古
世紀末的「閉塞感」が人々を覆い、制度疲労から起きる危機的状況がこの国を揺さぶる。固定観念にとらわれない独自の視点で、日々のニュースを問う。
略歴
1935年大分県生まれ。TBSテレビ系「筑紫哲也NEWS23」のキャスター編集長。朝日新聞社時代、政治部記者や米軍統治下の沖縄特派員などを経て、『朝日ジャーナル』編集
長、編集委員を務める。著書に『ここから日本はよみがえる』(共著、日本経済新聞社)、『「志」の開拓者たちよ!』(共著、日本経済新聞社)、『ニュースキャスター』(集英社新書)など、近著に『このくにの行方 対論・筑紫哲也「ニュース23」』がある。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■これでいいのだ       samedi 2 aout 08 [■追悼]

赤塚不二夫さん逝去。6年前に倒れて病床にあった。

おそ松くん、イヤミ、ちび太、ニャロメ、バカボンのパパ、ひみつのアッコちゃん、そしてタモリ。赤塚さんの生み出したキャラクターは皆懐かしい(最後の人は違うけどね)。学生運動が意味を持っていた60年代から70年代、赤塚さんもまた時代と供に生きた人だった。手塚治虫さんが、アトム=「正義」をバックボーンに戦後日本の右肩上がりの自己肯定の象徴であるとすれば、赤塚さんはニャロメ(=全共闘)の視点で自己自身を自省する、他者の眼を持っていた。

2ちゃんねるに、バカボンのパパのAAと供にこういうコメントがあった。

  
泣くことはないのだ! 
  落ち込むことはないのだ! 
  それでも涙が出る時は 
  パパを思い出して 
  笑い泣きをすればいいのだ!

titlelogo.png

DSC04420.JPG 
こんなガキばかりだった。(「1億人の昭和史 8」 毎日新聞社 1976年)



   

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

●小田実「遺す言葉」    lundi 7 janv.08 [■追悼]

NHKハイビジョン特集「小田実 遺(のこ)す言葉」を観る。
昨年07年6月30日末期癌で亡くなった小田実氏の入院直前から死までをNHKカメラが追った記録。小田氏の青年時代から今に至るまでをNHKの記録番組などを使って構成されている。昭和20年3月14日の大阪空襲の中にいた小田氏は、日本政府がポツダム宣言を「黙殺」したために終戦前日の大阪空襲でなくなった人たちを人災だと規定した「難死」を思想の基点とし、「べ兵連」活動でのイントレピッドの脱走兵問題で人間の崇高さと日本政府の米国追従政策を暴く。そして、阪神淡路大震災で繰り返された市民への公的援助を後回しにした政策により亡くなった人たちを「難死」だと規定し、日本政府を断罪する
(これはのちに「被災者支援法」となって実現された)。

常に小田実氏は市民運動の先頭を行く道標として、あるいは後から尻を叩くアジテーターとして強烈な個性を発揮した。時にその個性の強さから煙たがられる存在でもあったが、戦後の反市民的な自民党政権の欺瞞を暴く中心にいた。

小田氏が時に絶句して語った、「日本は、アメリカから貰った民主主義と自由主義というものに一つ大事なものを付け加えた。それが平和主義だ。そして今憲法改正で壊そうとしている」という趣旨の言葉を常に我々は肝に銘じてなくてはいけない。


終らない旅
  • 作者: 小田 実
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/11/29
  • メディア: 単行本


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■ローティ死去     mardi 12 juin 07 [■追悼]

Richard Rorty, Le philosophe américain est décédé vendredi à 76 ans. 

 Lundi, Gianni Vattimo a annoncé dans le quotidien la Stampa de Turin, le décès vendredi 8 juin à New York, du philosophe américain Richard Rorty suite à un cancer du pancréas.Il avait 76 ans. Un cancer de ce type avait emporté Jacques Derrida en octobre 2004.
 
 
哲学と自然の鏡

哲学と自然の鏡

  • 作者: リチャード ローティ
  • 出版社/メーカー: 産業図書
  • 発売日: 1993/07
  • メディア: 単行本


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

■追悼 今村仁司さん   jeudi 10 mai 07 [■追悼]

今村仁司さんが今月の5日に亡くなられた。65歳だった。
アルチュセールを学ぶのに、今村さんの『歴史と認識』(新評論 1975年)に如何に助けられ、導かれていったことか。古典としてマルクスを読むことと離れ、アルチュセールを経て現代的にマルクスに対峙するために絶対的に必要なものだった。

廣松渉さんが亡くなり、岩波書店から『廣松渉著作集』が刊行された折、今村さんが共同編集者に名を連ね、また2巻(10巻、14巻)について解説を書かれていたのに意外な気がした。このたびのことで『歴史と認識』を開いてみたところ、今村さんがこの本を為したのは廣松さんのおかげだと謝意を表わしているのに出会いました。そのような縁があるとは思いも依りませんでした。

二人は、1984年9月号の『理想』で「構造変動論のパラダイムを求めて」(清水博・生物物理学、塩沢由典・経済学、とお二人)という座談会をおこなっている。その後それを受ける形で、廣松さんは、『エピステーメー』(第2次第1号 1985年8月)に構造論、「第一信 構造変動論の論域と射程」という論題で連載の第一回を始める。そのなかで第三項排除論に対してこう述べています。

   <ドゥルーズたちは、平面的・単層的な構造に対して、超越的な第三者を立てることで、構造をひとまず立体化して議論を展開します。ここにはコード問題その他が絡みますし、具体的に応接すべき論説が多々介在しますが、粗っぽく言い切ってしまえば、過剰との絡みでの第三項排斥の構図がベースになっております。そこではマルクスが貨幣に関して論じたさいの或る部面をも配視しつつ、狭義の商品世界から貨幣が排出される仕組みと同趣の構図が立てられていることを、誰しも容易に看て取れる筈です。(略)しかし、単なる排除の論理だけでは、排出された第三項がもとの平面内(での〔閉じた区域の〕外部)に留まることを何ら妨げません。人は一般商品に対する貨幣を“比喩”的に思い泛かべたり、平民に対する王者の関係とそれを二重映しにしたりすることで甫めて立体化された構造を表象する次序となります。第三項の排除的特異化は、よしんば必要条件であっても、それ自体では立体的構造化を説明したことにはなりません。まさにこの立体化の機制が説明の要件なのです。しかるに、人はとかく、貨幣とのアナロジーでたかだか必要条件を尤もらしい手続で頭に植えつけられただけで、あの“比喩”的コノテーションをおのずと混入し、まるで一応の説明か済んだかのように錯覚してしまいます。――(略)小生が何をひとまず言っておきたかったは、ドゥルーズ・ガタリ達の議論を御承知の大兄には判って頂けると念います。――今村仁司氏が「第三項排除」論を「暴力」や「労働」論と絡めて積極的に構想されている所以のものも、右の問題点を氏が自覚されればこそのことだと小生は諒解しております。正直のところ、小生はまだ氏の第三項排除効果論を十全にはできずにいますし、氏自身にもまだ未展開の部面が残っていてそれが理解の障りになっているのではないかと想ったりもしますが、氏の構案がいわゆるポスト派の俗流的議論の準位をアウフヘーベンするものであることまでは小生にも判っているつもりです。>
(『廣松渉著作集 第14巻』「構造の形成・維持・推転の機制」p236)

廣松さんは、別の領域で用いられる理論を他の学問領域に安易に転移し、普遍的論理であるかのように類型化する知的怠慢を批判しながら、今村さんの「第三項排除論」を慎重に別けている。第三項排除つまりスケープゴートは「暴力」の概念であり、貨幣と資本の機能なのである。私には『ミル・プラトー』の国家論と第三項排除論の差異がいまひとつ掴めないが、近代がもたらした抑圧装置は常に機能しているのである。今村さんの一連の考察は最終的に近代の知の陥穽を表出させる理論的武器になるのだ。

80年代に書かれた論考は「現代思想」や「思想」に連載されたものであるが、体系的な書物にまとめていただきたかった。このことが残念でなりません。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感