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■鈴木道彦――サルトル『嘔吐』を読む   samedi 9 avril 2011 [■Pensée]

朝日カルチャーセンターで鈴木道彦先生の「サルトル『嘔吐』を読む」第1回。

1938年に出版された 'La Nausée' を白井浩司氏が最初に訳したのは1941年、戦後人文書院から出版されたのが1951年である。それが長く流布されていたのであるが、改訳新装版としてでたのが1994年。改訳『嘔吐』を手に取った鈴木先生は、あまりの誤訳の多さに翻訳による「裏切り」を痛感した。フランス文学者としてフランス語を専門にする鈴木先生にとって、それが青年期から憧れであったサルトルへの裏切りと映ったことは想像に難くない。プルーストの『失われた時を求めて』の全訳を終えた鈴木先生は、白井版からの改訳をせざるを得なかったそうだ。

何カ所かのフランス語訳の誤りが指摘されたが、それはあまり問題ではないと鈴木先生は言及し、そのうえで白井訳の致命的な誤訳、すなわち物質や動物の存在までも、すべて 'existence' を「実存」としていることを指摘する。日本語にとって事物の存在は「存在」でしかなく、具体的で個別的な主体である人間の存在の仕方が「現実存在=実存」であるのは、時代の共通認識である。この術語を50年もして逸脱した、ある意味では翻訳者の低級さは驚くばかりである。白井氏は数十年もサルトルの解説をしてきたのに、このような基本的な言葉を安易に扱っていたのである。

我々は、'existence' を「存在」と「実存」に訳しながら読み進むことが出来るが、あえて鈴木先生は平明な日本語として読むためすべて「存在」と訳している。単純にその単語を置き換えるのではなく、前後の文章の総体のゲシュタルトとして解釈する作業が要請されているのだ。

開講直後に、東日本大震災について言われた、「3.11以後の晩年」を「絶望」しながら生きるという言葉は、いまから35年も前の1977年11月開かれた、早稲田祭フランス文学研究会シンポジウム「アンガージュマンと文学―サルトル」に於いて鈴木道彦先生が語った、「希望の無い谷間の時代を生きる」という言葉を想起させた。(この時点でまだサルトルは存命である)

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1977年早稲田祭。手前から海老坂武、平井啓之、鈴木道彦氏。


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コメント 5

内田純子(旧姓田中)

唐突ですが、もしかしたら仏文研で袖触れ合うこともあったかもしれません。私は75年入学79年卒業です。
実は以前からときどきブログを拝見しておりました。
こちらで、撰君が亡くなっていたことも知りました。
いろいろと懐かしいお店のことが出てきたり、偶然にも友達が出演したJSバッハのマタイのことが出ていたり、不思議な御縁を感じています。
大震災の後しばらく更新がなかったのでどうされたかしらと案じておりましたが、今日拝見したところ懐かしい早稲田祭の写真があったものでつい思い切って書き込みました。

by 内田純子(旧姓田中) (2011-04-22 01:26) 

懸解

コメントありがとうございます。
僕は1080年入学です。お会いしたことはないと思いますが、当時のアルバムは保管してあります。

撰さんはその時5年在学の先輩です。吉田ターちゃんとか高畑さんがいらっしゃいました。卒業生では平田研さんや神さんが部室に顔を出していましたし、三屋さん、長沼さんは毎日のようにDUOで飲んでいました。亀本さんも何度かお会いしています。

2年生が神田さん、3年生が妹尾、帝、後藤、4年生が長谷川、三浦さんでした。

第一学生会館も取り壊されて文学部の方に別の建物がありますが、部は存続していないと思います。

僕は撰さんにバッハを教わりました。
みんなでお会いできる機会があれば楽しいでしょうね。
御身体ご自愛ください。

by 懸解 (2011-04-24 02:53) 

懸解

訂正
1980年入学でした。
by 懸解 (2011-04-24 02:55) 

内田純子

懐かしい名前がたくさん並んでますね。私は高畑さん長沼さん神さんらと同期です。三屋さん吉田さん、撰さんは一つ後の学年、長谷川さん三浦さんは二つ後だと思います。
デュオやあらえびすにはよくいっていました。
卒業してから皆さんと全然お会いする機会がなくなって久しいです。
もしどなたかにお会いになることがあったらよろしくお伝えください。合唱関係で馬場、落合あたりには始終徘徊しております。
by 内田純子 (2011-04-24 11:26) 

あがるま

『失はれた時を求めて』の翻訳者鈴木道彦が『マラルメ詩集』の鈴木信太郎の息子とhs知りませんでした。

サルトルといへば松浪信三郎が有名でしたフランス語では存在にはエートル(エトル・ルュイ・メムとはいふかもしれないが)なんて言葉は使はないで皆エグジズタンスといふのではないでせうか?

サルトルはハイデガーの影響で使ひ分けしたのでせうが、存在と存在者が同じ対象を指す古代・中世の伝統の方が今では重要です。

by あがるま (2012-07-05 11:28) 

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